37

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少女が信じられないというような顔をしたので、少年は少し心配そうな顔をしました。
「あなた、今の今まで私の名前を知らないで一緒にいたの?」
「いや……おじいさん達に聞いたけど」
少女の言葉に珍しく困り果てた様子の少年。
「あのね、この地方に来る前、僕ちょっとこの辺の文化を勉強したんだけど」
「文化?」
「名前を尋ねるって、結婚の申込の意味じゃなかったの?」
少女はきょとんとした後、顔を真っ赤にして言いました。
「それって……多分百年以上前の風習だと思うわ」
「ほんと?」
目を丸くした少年でしたが、次の瞬間には笑いだしていました。
「だったらうちの方の習慣でいこうか?」
「……どういうの?」
「『僕は君にだったら殺されても良いと思ってるよ』」
「そんなの嫌だわ!」
「僕もやだ」
憮然とする少女に少年は微笑みかけます。
「僕は君と一緒に生きていきたいな。
百年前のつもりで聞いて―――名前を教えてよ」
少女は頬を染めたまま眉を寄せて俯いていましたが、やがて意を決したように言いました。
「私の、名前は―――」

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36

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「あなたはこれからどうするの?」
水が引いた後、少年少女は流石に疲れて社の残骸の上に座り込んでいました。
少女の問いに少年は答えます。
「いきなり結構大きな事が起こったから、とりあえず家に帰ろうかな」
「そうなの……」
少女はなんだか怒ったような顔をしましたが、声は悲しそうでした。
「じゃあ家に戻りましょう。さっさと体を整えて」
「その前に」
少女の言葉を少年は遮ります。
「ええと」
遮った割に一度口ごもる少年。
「君の名前を教えてくれないかな」

35

二人からすでに遥か下流、流れの中で声が聞こえます。
「大蛇は混沌より生まれ、混沌に還る」
落とされた大蛇の真ん中の首が唄っているのでした。
「しかし」
真っ赤な眼と口を開き、笑っていました。
「まだわたしは遊び足りない!」
濁流から白っぽい何かが飛び出し、けたたましく笑いました。
それは勢いよく跳ね回りながら、山の奥へと入っていき―――どこかへ消えてしまいました。

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頭が飛び出したとき、大蛇の尾を弾いて流れの外に出しました。
尾は白い小さな蛇の姿になりましたが、やはり山の奥へ消えてしまいました。

 

34

同時に川の方から轟音が響きます。
中途半端に塞き止められていた川が、勢いよく水を溢れさせたのです。
水が迫ってくると、サミルはおもむろに剣を地面に突き立てました。
サミルと少女を避け、水はすべてを押し流します。社も、蛇の体も、何もかも。

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「流れてしまったわ……」
親と思ったことはないと言ってはいましたが、少女はほんの少しだけ悲しげに呟きました。
しばらく二人は水の中で佇んでいました。
「これも、剣の力なの?」
「これは僕の」
少女の問いに少年は答えます。
「水の性がないとあの剣は扱えないから」
二人の周りでだけ、川の水は緩やかに楽しげに流れていきます。
まるで主を守るかのように。
 

33

サミルは気の毒そうに、
「うん、あのね、大丈夫だよ」
夫婦とその向こうの大蛇に対して言いました。
「選ばれた人間が傍にいれば、力はそちらに宿るものだから」
言い終わると少年は跳ね上がりました。
蛇夫婦を蹴散らし、まっすぐ大蛇の残り一本の首へ。

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「あなただって昔は壊すだけではなかった筈だ」
少年は小さく語りかけながら剣を振り上げました。
「あなたはこの地を守っていたのだし―――彼女のことだって、生んだのだから」

きしり。
サミルは自分の言葉に大蛇が嗤ったような気がしました。
剣を降り下ろすと、胴体から離れた首はぼとりと地面に落ちました。

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